Honami36のブログ

パニック障害2児の母。今までの経験から少しずつ体の不調についてや子育てについて書いています

わたしがパニック障害になるまで〜体の悲鳴を無視した結果〜

f:id:Honami36:20210826145531p:plainパニック発作、一生のうち、10%から30%の人が経験します。そのまま何もしなくてもすむ人もいれば、少しの期間だけ薬を飲んで治る人もいます

そしてその中で、病名であるパニック障害へと進んでいく人もいます。』

 
 今思えば、パニック障害を発症する前、私はパニック発作を何度か経験していた。
 そう…食事中に急に血の気が引いて意識が遠のき病院にかけこんで、しばらく入院したことがあった。はっきりとした原因もわからなかったが、この時も食べれなくなり、点滴をして数日入院し、その後は働いたけど1ヶ月ほどは自分が自分でないようなおかしな感覚だった…。でもそれも自然に治っていた。
 
 夏になると運転中に血の気がひく感じになり、なんとか病院に行き点滴を受けたこともあった。車の運転はもともとあまり好きではなかったから、よく飴を持っていて、ドキドキしてきたりした時に舐めていた。
 
 テーマパークのアトラクションで、高所恐怖症と閉所恐怖症の私は気を失うんじゃないかって不安に襲われた。でも、そのあとは普通にまた楽しんだ。
 
 そして、発症前の数ヶ月は多忙でほぼ毎日残業。お義母さんが助けてくれていたものの、できる限りは自分でやらなくてはとワンオペ育児に毎日クタクタだった。夜勤明けは時々自分がどうにかなりそうな不安に襲われることがあった。「ゆっくり休みたい…」体が悲鳴をあげていたのもわかってはいた。家の中は汚部屋だったし、夕飯の洗い物が翌朝になるのもらざらだった。そして、家ではイライラしていたし、休日は疲労で動けなかった。仕事の日は、トイレとお風呂が唯一1人になってホッとできる場所だった。
 
 月1回はホルモンのせいか体調を崩していた。
 
 あの頃の私は体の限界までを感じながらも、謎のプライドがあった。私は一人で仕事も子育ても完璧にこなせるんだ!って…。将来の子どもや自分たちのために、そして今働けるうちに働いてお金も貯めておきたい思いもあった。もちろん看護師という仕事が好きだった。
 
 でも、本音は「休みたい」「仕事がセーブできたら…」あの頃の自分には仕事をセーブしたいと言える勇気もなかった。
 
 生活は見事に自律神経が崩れてもおかしくない生活を送っていた。でも、ずっとこの生活だったから違和感はあまりなかった。夜勤で夜遅くの夕飯に、夜勤明けには胃がブラックホールのようにドカ食い。忙しくて仮眠のとれない夜もあったし、何より皆んなが寝ている時間に働くのだから、睡眠リズムもバラバラ。
 
 
 そしてその結果、私はパニック障害を発症した。